「残業代ゼロ」政策
労働時間に関わらず賃金を一定にする、いわゆる「残業代ゼロ」政策が、再び検討課題として浮上してきました。一度は導入を断念した政策について、再び議論しているのはなぜでしょうか。
この政策は、ホワイトカラ-エグゼンプションと呼ばれているもので、これまで時間で支払われていた賃金を、成果に応じてものに変えるという制度です。昨年の夏に産業競争力会議で検討されたものの、批判が多く、制度の導入は見送られていました。
現在の労働基準法では、法定労働時間を超える労働(残業)を原則禁止していますが、労使間で協定を結べば残業が認められるようになっています。(いわゆる36協定)今回検討されている案の詳細はまだ分かりませんが、この協定を残業代にも適用し、一定の条件を満たせば残業代を支払わなくても済むようにする内容と考えられます。
この提案は4月22日の産業競争力会議において、民間議員である長谷川閑史氏から出されたものです。長谷川氏は、経済同友会の代表幹事ですから、ホワイトカラ-エグゼンプションは財界からの強い要望と考えてよいでしょう。
ホワイトカラ-エグゼンプションが導入されれば、どれだけ労働しても給料は変わりませんから、皆が働き方を工夫するようになり、結果的に労働時間が減って、生産性が向上するというのが企業側の見解と考えられます。これに対して労働組合など導入に反対する人たちは、無制限の長時間労働が強要されるだけと激しく反発しています。
当初、この案は年収1,000万円以上の高度人材に適用する方向性で議論が進められていましたが、今回の提案では、労使間の協定を結ぶという条件付きですが、一般従業員にもこれを適用できるようになっています。年収1,000万円以上の高度の人材と、年収の低い単純作業に従事する従業員とでは、会社に対する交渉力も違ってきます。また、現在の36協定も形骸化しているのも事実です。何も制限をかけずに裁量労働制を導入してしまうと、今以上の長時間労働を強いられる人が出てくる可能性は高いといっていいでしょう。
働き方が多様化している現在において、労働時間と賃金が連動している仕組みは議論の余地があります。ここは大いに議論していいと思います。
労働時間の問題を考えるときは、なぜ日本に不幸な過労死が多いのかという視点を忘れてはいけません。つまり、従業員の健康に対する配慮の問題を置き去りにしてはいけないのです。日本では先程述べましたが、36協定が形骸化しており、実質的には労働時間に上限規制がないことが過労死の要因にひとつになっています。
働き者で真面目な日本人は、責任感から体を酷使し、病むまで働いてしまいます。企業はそれをいいことに従業員を使い倒しています。
法律で物理的に働く時間の上限に規制をかけて、国が労働者の命と健康を守る仕組みが必要です。そのことなくして「残業代ゼロ」なる議論はあり得ません。